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日本にて

1月1日の夕方におじいちゃんの死を聞いた。

その時から、様々な人と連絡を取った。日本に帰るために。。1日というのにもかかわらず助けてくれたのでうれしかった。隣の部屋のけいこのおかげで日本に帰るための航空機チケットを取ることが出来た。

そして、チケットを取るためのお金集め。これがかなりあせった。4000リンギットなんて普段持たないからだ。日本との往復やく12万円。

これも助けてもらい何とか集めれた。このときにはかなり疲れてた。。。

で、翌日2日に朝6時から空港に行き、9時にコタキナバル、12時50分コタキナバルから成田空港へ。

kkには日本人多くてびっくりした。俺だけ黒いし笑

19時成田へ到着。そこから、成田エクスプレスに乗り東京駅へ。

22時寝台列車に乗り、東京駅から岡山駅へ。岡山駅、朝6時30分頃到着。そこから山口県の新山口へ新幹線で行った。到着8時17分。

母の迎え。葬儀場へ。

んーこの間中おじいちゃん亡くなった実感全く無く、式場で顔を見た瞬間はじめてあ~って感じた。

家族が連日の疲れがあることがわかっており俺は暗い雰囲気嫌いなので、KYなこといったりやったりして楽しまそうと思った。。

おじいちゃんにはいちをそういう風にするから許してねとはあらかじめ言った。。

今思えば別にそんなこと必要ないし、感情をしっかり表現したほうが良かったとも思うが・・・。

式が始まり、おじいちゃんの顔を触れるときが多々あった。

触った。

冷たい。今まで感じたことの無い冷たさ。何回も触った。何回も。。

初めての体験だった。

今まで、6ヶ月前マレーシアに来る前のおじいちゃんは寝たきりであり手足も動かせない状態、でも手足は確かに体温があった。

今回あったとき体温が無いどころか、何だこの冷たさは???って思った。え?あったかいときに会えなかった自分を悔やんだ。

人はどんな状態でもいきているだけで血液が流れからだがあったかいのだ。死ぬとここまで変わるのかって思った。

いくら平静を装ってもむりだったわぁ~~。

ほんとおじいちゃんに触れたとき初めて死を知った。

火葬場で骨を見たときにはまたリアリティーをなくした。こうなるのか・・

あったかいから人なんやね。。

おじいちゃん先月から危ない状態になって12月23日ゴロからずっとあと2~3日って言われていたらしい。

そして、1月1日に亡くなった。

まるで俺が日本に帰れるときを待っているかのように。今思えば突然にもかかわらず航空機チケットを取ることが出来、葬儀に間に合うように電車があり、24日からの旅行が終わって1月1日にメールを見たこと。しかもおれが幸福を受けた後に・・・。

それら全てなにかおじいちゃんのおかげ??っておもう。

まだ、今日葬式がおわり、現実的に受け止めていない自分がいる。というかなんか考えないようにしとるような・・・

まだ、ガキだね、ほんとに何も知らない。

自意識過剰なのは承知で書くけど、みんなはおれが帰ってきたことでおじいちゃんは喜んでるっていってた。ほんとにそうであればとてもうれしい。

ならなおさら、あったかいうちにお別れをしておきたかった。

でも、葬儀に出られただけでも本当に良かった。

ありがとう。

心配をかけた人にも感謝です。


ちなみに初、寝台列車に乗った結構快適やったよ。

背中にぶつぶつがたくさん・・・ダニか何かにやられたようだ。31日に上半身裸で寝たからかな。。









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コメント

No title

1時帰国お疲れさん!
帰ってあげれて良かったなぁ!

あたしも体中をダニにやられています><
また頑張って帰っておいで~

No title

なんとも孫思いなおじいちゃんだね。
りょうが帰ってきておじいちゃんも喜んでるよ。

ちゃんとマレーシア帰ってきてね~。

No title

ともさん!みっちゃん!しょうさん! 心配かけました。もう戻ってきたよ!!今年もよろしく
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