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障害者?しょうがい者?障がい者?

障害者という言葉。

昔から道徳の時間にはこのような字で教わり、年1回くらいの交流の場ではそういう眼をして接していた。

そう習ったからそのまま何も考えずに使ったのだ。

大学に入り「害」という言葉の意味がよくないということで「がい」をひらがなで表すというのを習った。

これも習ったものであり、そうだとその時には感じた。

今、この現場に立ち生きている。

障がい者。ん??

障(しょう、さわる)って言葉の意味しっとる?・・・さしつかえる、邪魔をする。って意味

これってよくない言葉だろ?

障がい者と現わしても、害とほぼ一緒の意味を使っているので意味がないのでは?

障害を使うときにすぐ思いつくのは、障害走。 字の如くハードルやらの邪魔するものを越えながら走る。

と考えると、障害者。じゃまもの??なのか・・・?

ではない。確かに身体や脳に障がいを持っている。だが、そのためにすべてができないというわけではない。

サポートをうまくすることができれば、できることがかなり増えるのだ。それをしないで障害者という言葉を読んでいたかと思うと無責任だった。

どういう意味でこの言葉ができたか知らないが、これは社会の面(立場)から生まれた言葉ではないだろうか。

邪魔と考えれば排除する。その意味でできた言葉ではないか。しょうがいを持ってる人に対して障害者と呼び排除してきたのではないか?社会が障害者をつくり出したのだ。

現在言葉についてどのように使うかなど様々な議論が行われているそうだ。たしかにこの言葉が正しいとは決して思わない。
でも、まずはこの言葉を使う人たちにその意味について考えさせ正しい理解を広げてほしい。

障がいを持つ人。について俺らはあまりにもしらなすぎた。

形式的な行事で接するだけで、この言葉の意味も知らずに使ってた。気づくべきものなのかもしれないがほとんどの人は気づいてないと思う。障害者と呼ぶことで、彼らを深く気づ付けていたかもしれない。

そして、障害者といわれ自分は何もできないって思わせたのかもしれない。

また、障害者という言葉の意味を俺は深く考えたことは今までなかったが、間違いなく小学校・中学校・高校と彼らと接するときには障害者やから・・・などという馬鹿な考えをしていた。

おれとしょうがいを持った人との違い。それは身体あるいは脳にしょうがいがあるってことだけ。

あとは何も変わらない。

同じ時代を生き、同じ顔を持ち、考えを持ち、楽しさを求め、刺激を求める。もちろん、人間だれしも身体的特徴や能力に差があるのはとうぜんのことである。


しかし、彼らへのサポートを怠れば上記に記したことをできない人も出てくる。しょうがいの重さによっては(可能性は広がるといっても)できないことはやはりあるから。

しょうがいって言葉、みんなにはたくさん使ってほしい。

なぜなら、しょうがいを持つ人、また関わる人にとって社会とつながることが大事だから、しっかりこの言葉を使ってほしい。日本でもまだまだ認知が少ないのは、社会に出てこれる環境ができてないかである。

しょうがい者ってつかうやろうけど、考え方変えてくれてたらまずはOK。

何もできない人。社会で邪魔な人。ではなくて、できる人。可能性を持ってる人。と

もし彼らが何もできない人だとしたら、それは社会がそういう環境を作り出しそうさせているのだ。

だから、今から考え方かえて読(呼)んでみよう。しょうがい者。しょうがいを持つ人
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コメント

No title

もちろん中国にも障害を持った人おるよ。
でもそんな人たちってバス停でお金をくれって結構しつこく言ってくる。
そう思えば裏では給料もらってそういうことしてるってのも聞いた。
実際どれがホントなんかはわからん。
でも中国の人は結構障害を持った人をバカにする。
俺のまわりでも
「あの人たちは頭悪い。」
とか言ってたりしてかなり軽蔑する。

何がホントで正しいかなんてわからん。
でけ俺が正しいと思ったことをするようにしようと思ったね。

No title

光亮!やっぱねぇ福祉ってどこの国も始めたばっかで、自分より下に見るのって好きやもんね。。だから、しょうがい者の人には何もさせんから、「できないままだったりするんよね。可能性が…日本におった時は自分もそうやったと思うしね。今も偽善ぶってるだけかもやし。。奥が深いねなんでも深くやろうと思ったら!だから、たのしいってのもあるけども・・・
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